2016年3月20日(日)延岡から宮崎

土々呂(ととろ)という集落を通りました。何かトトロに関係するものでもあるかなと国道を離れ旧道に入りましたが何もありませんでした。

ふわっとするものを発見しました。「延岡ととろ聴覚支援学校」です。以前は聾学校と言われていた学校です。子どもたちがトトロに見守られてのびのびと育っていくような響きがいいですね。

でも、この学校は廃校なんです。おまけに不動産屋の売り物件の看板がついていました。

一般の小中学校でも廃校はよく見聞きしますが、それを不動産屋が売り物件として売却するというのは聞いたことがありません。

小中学校がそのようなあつかいをされたら、きっと地域の方々が許されないことでしょう。ここの卒業生達はどのように感じることでしょう。

学校名に「トトロ」と夢のある名前がありながら、悲しいことだなと思いました。

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国道10号線をぐんぐんと南下して、都濃という集落から国道を離れ海沿いの県道を走りました。

海沿いといっても分厚い防風林にさえぎられ、ほとんど海がみえませんが、どどーん、どーんという海鳴りが響いてきます。瀬戸内海とは明らかに違う力強さを感じる音です。

道は日豊本線と並行してほぼ南北に一直線で平坦です。おまけに今日は北風で、背中を押されスピードも出ます。車はほとんど通らない最高の道でした。

宮崎市に近づいてまた国道10号線に戻りました。とたんに交通量が増えました。歩道も途切れ途切れになり、しかたなく車道を走っていたら、後からクラクションを鳴らされてしまいました。今回の旅で初めてのことでした。どっと疲れがでてしまいました。

本日の走行距離 89.8Km 総走行距離 565.2Km

2016年3月19日(土)佐伯から延岡

佐伯からは388号線を南下しました。388号線はほとんど車が通りません。まもなく木立という集落を通りました。山間の美しい集落です。

このところの暖かさで、花も咲き始めています。のんびりとした良いところだな、思いながらペダルをこいでいくと、美しい風景がそこだけ見るも無残な姿に…。

小さな橋のかかる川向こうにペットの斎場がありました。斎場に反対する方たちが場に通じる橋に様々な看板を立てているのです。

川をはさんでこちら側には集落が広がっています。住みよい地区を守りたい、美しい風景を守りたいという気持ちかはよくわかります。でも、あまりにも美しくない風景でした。これでは、供養されるペットはうかばれません。問題の発端は斎場を経営する業者が計画をごり押ししたところにあるのでしょう。何か良い解決策はないのでしょうか。

長いトンネルを抜け蒲江という集落に着きました。大漁旗を掲げた漁船が数隻停泊していました。ラーメンをいただいた小さな食堂の店主が、この先388号線はあまりにも急で自転車は無理だと教えてくれました。そこで波戸津というところから県道122号線に入りました。ここも相当な急坂です。

あえぐようにこいで峠に出ました。ついに宮崎県に入りました。はるか足元には日向灘が広がっています。太平洋です。

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ただ、ここから延岡までの遠かったこと。道は静かで良かったのですが、何度も繰り返されるアップダウンですっかり足に来てしまいました。

汽車で佐伯までもどり、今日は近くの「やよい」という道の駅で車中泊です。ここは温泉に入れる道の駅です。とてもいいお湯でした。

本日の走行距離 81.8Km 総走行距離 475.4Km

2016年2月28日(日)佐志生から佐伯

昨日は佐志生駅から一旦暘谷駅までもどり、車で別府YHまで移動して泊まりました。今日は車で佐志生駅まで行き、そこから続きを走ります。

一時間もしないで臼杵の町に入りました。臼杵には石仏を見に来たことはありますが、街に入るのは初めてです。

街の中心を流れる川の中州にはフンドーキンの醤油工場がどっしりと構え、おりからの朝日を受け川面に金のマークが揺らめいていました。どうということのない風景なのですが、我が家で使っている刺し身醤油がフンドーキンでして、「おっ!」という感じで思わず写真を撮りました。

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臼杵城から街を一望した後、情緒のある街並みを縫うようにゆっくりと走ってから津久見に向け出発しました。

臼杵から津久見の間はかなり長い上り坂が続きます。今日は陽気がいいからでしょうか、何人ものサイクリストに抜かれていきました。みんなバシッと決めて、どこかのクラブのようです。

津久見から先は海沿いののんびりコースです。小さな岬を超えるたびに、風景が変化していきます。小さな入り江の向こうに立派な野球場が見えてきました。得点掲示板の後ろがすぐに海になっていて、場外ホームランを打つと、海にボールが飛び込んでしまいます。そのたびに船でボールを拾いに行くのでしょうか。ま、かなり大きな野球場なので場外に飛び出すことはほとんどなさそうですが…。

「彦岳登山口」という看板がありました。英彦山?と思ったら右手後方にそれなりの高さの丸い山がそびえ、頭に杉の林をモヒカンのように乗せていました。看板に描かれた絵の山です。登ったらきっと眺めがいいのでしょう。ちょっと登降意欲がわく山です。

昼ごろに佐伯駅に着きました。20分後に出る電車を逃したら、2時間待たなくてはなりません。佐志生まで戻ってから自宅まで5時間はかかります。今日はここまでにしました。

本日の走行距離 44.9Km  総走行距離 393.6Km

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年2月27日(土)日出から佐志生

 今日は日出町の暘谷駅からです。走り出してすぐに左手に別府湾が広がります。うっすらと大分の工場群も見えます。右手前方には大きく鶴見岳がそびえています。山ひだには先日の雪が残っていました。

 別府大分間は海沿いの幅の広い歩道を走ります。ランナーもいっぱい走っていますが、自転車の方も多いです。競技用の車いすで走られている方にも出会いました。さすが伝統ある別府大分マラソン開催の地です。

 ところで、大分市内で「平和市民公園」「むっちゃんの平和像」入り口という看板を見つけました。探しながら行ってみると、小さな児童公園があり、その一角に少女の像がありました。像の後ろに千羽鶴が何本も供えてあります。碑文には戦後33年を記念して新聞社が手記を募集し、ある方が「むちっちゃん」についての手記を応募したとありました。家族をなくした「むっちゃん」(当時12歳)は大分の親戚を頼って疎開してきたのですが、戦後間もなく近くの駅の防空壕で一人さびしく亡くなったそうです。その手記が広く知れ渡り、全国からの浄財により像が建立されたとのことでした。この話は知りませんでした。

 「むっちゃん」の視線の先では、ちょうど「むっちゃん」と同じ年頃の子どもたちが、サッカーで遊んだり、芝にシートを引いてピクニックをしていたりしていました。子どもたちが安心して遊びまわることができる世の中であり続けてほしいと祈る気持ちになりました。

 「だれの子どもも殺させない」これは昨年から続く戦争法案に反対する全国の「ママ」たちのコールの一節です。今日は佐賀関を経て臼杵の手前、佐志生まで走りましたが、頭の中ではずっとこのコールが鳴り響いていました。

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本日の走行距離 78.0Km  総走行距離 348.7Km

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年2月11日(木)国東半島一周

国東半島は大きいです。一周するのに100Km近くあります。地図でみるとほとんど円形をしていますが、実際には小さな入り江と岬が交互にあり、そのたびに道はアップダウンを繰り返します。しかも、交通機関はバスのみで簡単にリタイヤができないのです。ベストの体調と天候でないと不安です。

ですので、決行まで前回から一月近く間が空いてしまいました。今日はいい天気です。いざ出発!

前回の終点の宇佐駅を8時15分にスタートしました。しばらくは平たんな干拓地を飛ばします。しかし、すぐにそれも終わって、アップダウンが始まりました。へたれな私は上り坂になると見る間にスピードが落ちていきます。

ゆっくり登っていくとトンネルです。これを十数度繰り返します(ご丁寧に通し番号がふってありました)。トンネルには壁際に幅50センチメートルほど高さが15センチメートルの段があるだけです。まるで平均台のようです。落ちないよう緊張して体が硬くなり、逆にふらふらしてしまいました。正直怖かったです。

それさえないトンネルもありました。しかたなく旧道を迂回ししていくと、たおやかに波打つ林と畑の向こうに真っ青な海が広がっていました。こういう風景との出会いが正直うれしいです。

途中でユニークなカフェを発見しました。趣味で集めた小物を展示するために倉庫を改造してついでにカフェを始めたということです。仕事を早期退職されたという勇気に脱帽です。

後半は整備された自転車ロードを走りました。海岸に並行してのびる専用道はご機嫌そのものです。風も手助けしてくれて、ぐんと距離をかせぐことができました。96キロメートルを走って日出町の暘谷駅に15時25分に着きました。

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国東は修験の地ということで、私も何度か寺院を巡ったり山に登ったりして神秘的な雰囲気にひたったこともありました。しかし、今回はまったくそういう感じはしなくて、早春の光に輝く地という印象でした。

本日の走行距離 96.2km  総走行距離 270.7km

2016年1月16日(土)行橋から宇佐

今日も天気はよさそうです。できるだけ早めに距離をかせいでおこうと、昨日に引き続き走ることにしました。

今日は新田原駅からです。11時25分にスタートしました。

間もなく自衛隊築城基地のそばを通ります。道沿いに小公園があり、ちょっと小高い丘になっています。今日は休みなので飛行機の姿は見えませんでしたが、格納庫(らしい)や管制塔が見えました。

ここは戦闘機の基地です。有事の際にはここから戦闘機が飛び立つのでしょう。想像するだけで背筋が冷える思いがしました。

中津に入りました。川沿いに中津城が望めます。その昔この城も戦争に用いるために作られたのでしょうが、なんとものどかです。この違いは何でしょう。戦争という言葉が歴史の上でなく、現実の生活の中で姿を現ししつつあるからでしょうか。

中津からは海沿いの県道を走りました。私の持っている地図帳には「地元車両多い、ゆっくり安全運転」と書いていましたのでローカルな道を想像していたら、滑走路のような道路になっていました。工場進出に合わせて拡幅したようです。風情も何もありません。

失敗したなと思っていたらようやく旧道の雰囲気ただよう道になりました。ここもやがて飛行場のような道になるのでしょうか。でも路肩というものがない道はそれはそれで恐ろしいものでした。

田舎道を楽しんでいたら、突然と赤いポットの看板がありました。こんなところにと思いましたが、自家焙煎の喫茶店です。誘われるように店内へ入りました。コーヒーは本当においしかったです。

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マスターとママさんの人柄でしょう、今回の旅の目的や退職後の生活のことなど思わず話してしまいました。出発間際にお土産に炒りたてのコーヒー豆までいただいてしまいました。ありがとうございました。

宇佐駅には15時ちょうどにつきました。人の出会いを感じたうれしい一日でした。

本日の走行距離 48.8km  総走行距離 174.5Km

 

 

2016年1月15日(金)門司から行橋

スタート初日から膝を痛めてしまいました。

4~5日もすれば治るだろうとたかをくくっていましたが、どうにも治まりません。しかたなく先日整形外科を受診しました。

なんと言われたのかよくわからなかったのですが、運動のし過ぎでそのうちに治るとのことでした。でも早く治りたいのなら注射をしようということで、膝に注射をしてもらいました。

現代医学はすごいですね。5分後にはそれなりに動けるようになりました。

それから数日。かなり膝もよくなってきたので、続きを走ろうと思いました。

 

今日は門司港駅からの出発です。

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門司港駅は九州鉄道発祥の地、0哩標もあります。九州一周にふさわしい出発地です。

とりあえず海沿いに行くことだけを考えて東に向かって出発しました。和布刈神社を過ぎると、ぐんぐんと道が大きくなってきました。

その道を大きなコンテナを載せたトレーラーがグオーングオーンと走り回っています。気が付くと、トレーラーの渋滞に巻き込まれてしまいました。コンテナターミナルに迷い込んでしまったようです。

そこでUターン。海沿いに行くのはあきらめました。新門司に向かって山越えです。ちらっと膝の痛みが気になりましたがそれほどでもありません。ギアを軽くしてくるくると独楽ねずみの様に進みました。

ようやく見慣れた道に出てほっとしました。新門司から行橋の道は九州に行くたび通る道です。ただ、渋滞が激しくていつもいらいらしてしまいます。

今日も車は多いのですが、自転車は全くストレスなしです。道は平たんで軽く追い風です。膝の痛みも再発せずに、行橋につきました。

ここから先は汽車の時間を気にしながら進みます。

南行橋の駅を過ぎたところで、素敵な喫茶店を発見しました。ログハウス風の建物、壁には薪が積んでいます。時間があったので今日のご褒美タイムを取りました。薪ストーブがゆるゆると燃えていてほっと落ち着く店でした。

そこから数キロ先の新田原の駅で今日はおしまい。15時10分でした。

有意義な有給休暇でした。

 

本日の走行距離 48.2Km  総走行距離 125.7Km